カテゴリー別アーカイブ: 訪問看護サービス(彦島迫町)

「最後まで自宅で過ごしたい」を支えて(訪問看護サービス)

平成20年に脳梗塞を発症し左上下肢に麻痺があるJさんは、要介護4の状態であったが娘さんと二人で自宅での生活を希望され生活をされていました。自宅が山の上にあり、道路から自宅までは数十段の階段がありましたが、支えられてデイサービスに通所も行かれていました。しかし、年月とともに徐々に身体機能が低下し、要介護5の状態となりデイサービスに行くことが困難となりました。デイサービスでの入浴や娘さんの休息の時間がとれない状態となりましたが、Jさんの「自宅で最後まで過ごしたい」という希望を尊重し、娘さんも「自宅で最後まで母と一緒に過ごしたいから、具合が悪くなっても、救急車は呼ばないし入院もしない。」と言われました。

Jさんと娘さんの想いを第一に考え、訪問診療の主治医やサービスの関係職種と状態に応じて話し合いをし、連携して在宅生活を支援することになりました。

入浴は、娘さんとヘルパーが一緒に自宅のお風呂にいれることになり、訪問看護で一般状態の観察と嚥下訓練等のリハビリ、訪問リハビリで拘縮予防や筋力低下の予防などサービスを利用しながら自宅で生活を送っていました。嚥下機能の低下や脱水傾向で噎せこみが強くなり、食事や水分を摂取することが困難なことがありましたが、訪問診療の主治医と連携し必要時に点滴を施行することで状態が改善することができていました。

しかし、91歳をむかえてから点滴を開始しても状態の改善がみられず、Jさんは徐々に身体が弱っていきました。車椅子で過ごすことが難しくなり、終日ベッド上の生活でポータブルトイレへの移動もできなくなり、介護の負担が大きくなっていきました。介護の負担は大きくなりましたが、娘さんは最後まで自宅で看取りたいとの強い希望がありました。娘さんの希望に沿うようにアイユウの苑訪問看護サービスで作成した看取りのパンフレットを使用し看取りに対しての説明を行いました。そして、徐々に弱っていく状態の変化や死が近いことをその都度家族に説明することで、家族も死が近いことを受け入れ、葬儀社に見学に行かれたり、遺影の写真を選ぶなど早めに準備することができました。また、夜間に「点滴が落ちなくなった」等の家族からの緊急の連絡に訪問看護師がすぐに対応することで自宅で二人だけでいることの不安は軽減されていたようです。

J様は点滴開始から2ヶ月後に家族に見守られながら安らかに永眠されました。死亡が確認された後、訪問看護師がお化粧をしてお別れをしたのですが、「きれいに化粧していただいてありがとうございます」と親戚の方々も喜ばれていました。退院後から自宅で最後までを訪問看護師として関わることで家族様との信頼関係を深め、ご本人様と娘様の希望を少なからず叶えることができたのではないかと感じました。

訪問看護サービス 前田圭子

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【シリーズ】多くの看取りを通して感じたこと2(訪問看護)

前回は、胆嚢がん末期の女性の方のお話でしたが、今回は、96歳女性。横行結腸癌。肝転移、肺転移の末期状態の方のお話です。

【ケース2 96歳女性 横行結腸癌。肝転移、肺転移の末期状態の方】

この方は、5〜6年前に横行結腸癌の手術を行いました。総合病院退院後は、家の近くの医院で外来フォローをされていたのですが、癌が再発し肝臓と肺に転移していることがわかりました。末期状態で、治療もないことから入院せずに、ご自宅で最期まで過ごしたいという希望から在宅医療となりました。ご家族は、北九州に住まわれており、週末には実家に帰られていたのですが、息子様も具合が悪く、入退院を繰り返されていたため同居はせず、ご本人様一人で生活を続られ、毎日、ヘルパーさんが訪問しては、身の回りのお世話をされていました。徐々に食事が食べられなくなり、日に1回500mlの点滴が開始となりました。癌の痛みも出はじめ、痛み止めの座薬を使用するようになりましたが日に日に痛みが強くなり、医師は持続皮下注(皮膚に注射の針を刺し、持続的に痛み止めの薬を入れる器械)を行うように説明されました。

しかし、ご本人様は、最後まで自分でトイレに行きたいと、器械が付けられることに強く拒否されました。ご家族様とヘルパーさんからも、「自由を奪わないでほしい」と訴えがあり、24時間の点滴と持続皮下注を行わないこととなりました。動くと痛みはありましたが、最期まで一人暮らしを続け、自力でトイレにも行き、意識もしっかりありました。

ある日の朝、意識が朦朧としているところを、訪問に来られたヘルパーさんが発見。徐々に呼吸も浅くなり、とうとう最期の時が訪れました。死の間際、ご本人様が好きだったという歌をヘルパーさんたちが合唱され、お見送りをし、ご本人様は、「ありがとう」と言い残し、お亡くなりになりました。この方は、以前学校の先生をされており、自分にも他人にも厳しい方で、息子さんやお嫁さんに、迷惑をかけたくないという思いの強い方でした。その思いをかなえるために、24時間の点滴と持続皮下注を行わないように医師にお願いしましたが、痛みが強くなってからは、トイレに行くのも辛そうでした。病状的には、少し眠らせてあげる方が良かったのかもしれません。本人は、最期まで意識があり、いつも訪問してくれていたヘルパーさん達に囲まれ、息を引き取りました。家族は、間に合いませんでしたが、本人にとっては安らかな死であったのではないでしょうか。家族も大変感謝されていました。

人の命は長さではなく、「どのように生きたいのか」が重要ではないかと考えます。あなたなら、どのような生き方(死に方)を選択されますか。

訪問看護サービス 管理者 岡田千恵子

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【シリーズ】多くの看取りを通して感じたこと(訪問看護)

訪問看護では、病気や障害を持った方が、その人らしく療養生活を送れるように、看護師がご利用者様のご自宅を訪問し、24時間365日体制で対応させていただいております。病状や療養生活を看護の専門家の目で見守り、適切な判断に基づいたケアやアドバイスを提供し、在宅での療養生活がスムーズに送れるように支援させていただきます。

当事業所では、これまで多くの在宅での看取りを行ってきました。癌患者様と接する中で、訪問看護師として、本当にこれでよかったのか常に迷うのですが、その中でも、特に印象に残るケースがありました。

これから、何度かに分けてお話させていただきたいと思っています。

【ケース1 56歳女性 胆嚢がん末期の方】

食欲が落ち、少量しか食べられないことから、高カロリーの輸液が行われました。癌の痛みも強いため、麻薬の貼り薬と痛み止めの持続皮下注射(皮膚に針を刺し、24時間痛み止めの注射液が流れるようになっている器械)が、行われることになりました。痛みはありましたが、歩行は可能で、入浴も娘様の見守りのもと行えるレベルでした。娘様は、看護師で、痛みの訴えがあってはいけないと、再々持続皮下注のボタンを押していました。ボタンを押せば、痛み止めの薬が流れ、痛みは軽くなりますが、副作用として眠気に襲われる方もいます。本人は、「やりたいことがあるのに、眠くて何も出来ない。眠気を取ってほしい」と常に訴えられていました。徐々に食事量も減って行き、点滴量も増量されました。点滴量の増加に伴い、お腹の腫れと足の浮腫が強くなり、毛穴からは、汁が漏れるようになりました。本人は、「点滴を止めてほしい」と訴えたのですが、娘様の希望で、24時間の高カロリー輸液が続けられました。訪問看護師にも、「買い物もいけない。やりたいことができないから、点滴を止めてほしい」と何度も訴えました。本人は、「2階に上がり、自分が死んだときのためにやらなければならないことがある。それが出来ないのが悔しい」と言いながら、ご自宅でお亡くなりになりました。ご利用者様は、余命1か月と言われていましたが、高カロリー輸液等を行うことで、2か月も命が伸びました。しかし、本人は、自分のやりたいことも出来ず、副作用に悩まされ、ほとんどの時間をベット上で過ごすこととなってしまいました。余命が伸びたことは、家族にとっては良い結果だったかもしれません。しかし、命が伸びても自分のやりたいことができない場合、生きているということになるのでしょうか。看護師として、もっと出来ることはなかったのか、ご本人様が納得の行く生き方を選択するためには、どうすれば良かったのか、今でも考えさせられるケースでした。

もしも、あなたが、介護者だった場合、どうしたいと思われますか。

訪問看護サービス 管理者 岡田千恵子

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「最後まで自宅で過ごしたい」のサポートを通して

平成20年に脳梗塞を発症し左上下肢に麻痺があるIさんは、要介護4の状態であったが娘様と二人で自宅での生活を希望され生活をされていました。

年月とともに徐々に身体機能が低下していく中でもIさんは、

「自宅で最後まで過ごしたい」

と希望され、娘様も、

「具合が悪くなっても、救急車は呼ばないし入院もしない。自宅で最後まで母と一緒に過ごしたい」

と希望されていました。

1回/週の一般状態の観察と嚥下訓練等のリハビリで訪問していましたが、ムセこみがあるため、水分摂取が困難で脱水を繰り返し、訪問診療の主治医と連携し必要時に点滴を施行することで状態が改善することができていました。

しかし、91歳をむかえてから食事や水分を摂取することが困難となり、24時間の持続点滴が開始され2ヶ月後に永眠されました。

Iさんの身体は徐々に弱っていきましたが、その都度、ご家族様に説明することで死が近いことを理解し受け入れることができ、遺影の写真もお早めに準備することができました。

夜間に「点滴が落ちなくなった。」とご家族様からの連絡にも、訪問看護師がすぐに対応することで自宅で二人だけでいることに対する不安を少しは軽減できたのではないかと思います。

死亡が確認された後、訪問看護師がお化粧をしてお別れをした際には、「きれいに化粧していただいてありがとうございます。」と親戚の方々も喜ばれていました。

退院後してから、自宅で最期迎えるその日まで、訪問看護師として関わることでご家族様との信頼関係を深め、ご本人様と娘様の希望をかなえることが出来たのではないかと思います。

Iさん。ご家族様。大変お世話になりました。

訪問看護サービス 前田圭子

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高齢者の終末期について考える!

高齢になると、段々と食事量が減り食べれなくなっていきます。多くの医療従事者がターミナルケアを考える時期は、「経口摂取が出来なくなったとき」と考えますが、食事量が減ってきたときに、本当に終末期なのかどうかを見極める必要があります。

▼食事が食べれなくなるのは、どういうときか?

1.急病で全身状態が悪化したとき

2.慢性疾患の急性増悪のとき

3.パーキンソン病などの神経疾患、脳血管障害後遺症、腎不全、心不全、呼吸不全などがゆっくりとした進行したとき

4.認知症がすすんだとき

5.老衰で全身の機能が低下したとき

食事が取れなくなったら、どうするの

高齢者であっても、急病や疾患がすすんでいる場合は、最善の治療がなされるべきです。食事が出来なくなった場合、何らかの方法で栄養補給が行われることで、生命を維持することが出来ます。(老衰であっても適切な栄養と水分を補給することで、体調がもどり長生き出来る方がたくさんいます)

▼終末期を考える

本来終末期とは、病状が進行し生命の危険を伴っている場合のことです。一般に認知症の進行や老衰で経口摂取が出来なくなった場合は、適切な栄養を与えないと命を縮めることとなります。しかし、むやみに栄養を与えることはかえってご本人様の負担となります。老衰による末期では、緩やかに全身状態の機能が下がっていくため、最低限の水分と栄養補給で血液の電解質を管理することが必要です。

▼訪問看護師として

私達、訪問看護師は、ご利用者様の病状を確実に把握し、適切な栄養、水分補給を行うお手伝いをさせていただいております。最期まで、意識を保ち、家族とのコミュニケーションをとりつつ、緩やかな最期が迎えられるように努めています。

訪問看護サービス 管理者 岡田千恵子

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